「あれ?……蘭丸くん、どうしたの?」
光秀と別れて秀吉の館に帰ってきたかえでは、門の前で立ちすくんでいる蘭丸の姿を見つけた。
いつもならにっこりと笑う蘭丸なのだが、今日ばかりは笑わず、何か悲しい事でもあったかのような顔でこちらを見ている。
「……かえでさん……よかった!!」
「わっ!!」
突然飛び掛り、かえでをぎゅっと抱きしめる。
突然の事でかえでは混乱した。
仮にも同じ年頃の男の子に、こんなことされたこともない。
蘭丸が素直といえば素直なのだが、ちょっと困る。
「ちょ、ちょっと蘭丸くん、蘭丸くんったら!」
ようやく腕を解いてくれた蘭丸だが、今度は泣き出しそうな顔をしている。
一体どうしたというのだろうか。
かえでは館の中に通した。
座敷に座ってしばらく落ち着いて、ようやく蘭丸は口を開いた。
「しばらく会ってませんでしたから」
え?まさかそれだけであの行動に出たの?
とちょっとかえでは疑問に思う。
「あ、それはだって蘭丸くん、お仕事大変でしょ?」
「そんなの平気です。わたしのほかにだって、小姓はいっぱいいるんですから」
いや、信長様の小姓っていったら、蘭丸くん、あなたが一番有名だよ、とかえでは思った。
が、論点がずれる。
「あの、わたし今日聞いちゃったんです。佐々殿が、かえでさんを帰そうとしている話を」
「成政さんが?」
はい、と蘭丸。
話を聞くと、どうも信長とその話をしていたらしい。
たまたま蘭丸が聞いてしまい、それでいてもたってもいられなくなったというのだ。
「かえでさん、帰らないですよね?」
唐突に蘭丸が聞く。
かえでも帰りたいと願った事はあったが、今はもうあきらめてもいる。
大体帰り方がわからない。
そのことも成政に伝えたのだが、まだ成政はそれを探しているようだ。
「かえでさんが帰るならわたしはお力添えします。
でも、せっかく仲良くなったのにもう会えないかもしれなくなるなんて、わたしは残念でなりませんから」
「大丈夫だよ。私はここにいるから。ね?」
かえでが笑うと、蘭丸がようやく笑った。
いつもの蘭丸が、戻った。
「……それにしても成政さん、ちゃんと私は帰らないって伝えたのになぁ。何でだろう」
言い方が悪かったのかなぁ、とかえでが思案していると、蘭丸も悩み顔で聞いてきた。
「そうですねぇ。わたしも思い当たりません」
「ねぇ蘭丸くん、成政さんってどんな人なの?なんか秀吉はあんまりよく思ってないみたいだけど」
「ええ?わたしもあまり知りませんよ。むしろたぶん羽柴殿のほうがご存知ですよ。わたしが織田家に仕官し始めたのはつい最近の事ですから」
「う〜ん、そっかぁ」
「はい。でもわたしはいい方だと思いますよ。だってものすごくまっすぐで、ちゃんと芯のある方ですから。
それでいてやさしい方です。他人を絶対傷つけない――あ」
急に思い出したような蘭丸の顔に、かえでは思わず聞き返した。
「どうしたの?」
「前に一度だけ聞いた事があります。確か佐々殿、過去に大切な方を亡くされているとか……わたしもうわさでしか聞いた事ないので、詳しくは知りませんけど」
それが関係あるのかな、と蘭丸。
かえでも気になったが、これ以上詮索して成政を傷つけても仕方ないと二人とも思ったので、話はここでおわりになってしまった。
ふっと、灯火を消す。
今日は光秀さんとおそばを食べて、蘭丸くんにあって、成政さんの話を聞いて……思えば豪華な話だ。
こんなにたくさんの歴史の人物と話した高校生がいるだろうか。
そう思って自分のことなのになんだかおかしくなって、布団の中で思わず笑う。
明日はどんな一日になるだろう。
今は何とか10年らしい。
蘭丸に年号も教えてもらったが、聞き覚えがあるようなないような、なじみのない年号で覚えていない。
やたらと画数が少ないなぁと思ったことは確かだ。
こうなるんだったらもう少し歴史の年号を覚えておくんだったと、いまさらに後悔する。
うとうとしかけたかえでの耳に、すっとふすまの開く音が入った。
とたんに青白い月明かりをほほに感じて、かえでは寝るわけには行かなくなる。
ほほに感じた月明かりがさえぎられる。
――誰かいる!!
今すぐ隣にいる。
腰を下ろした。
こっちを……見ている!!
誰、誰なの!?
「……」
ぽん、とかえでの肩をたたく。
思わず目を見開いた。
逆光で見えないが、確かにそこには大きな男の影があった。
「っっ――!」
「騒ぐな、わしだ」
口に手を当てられ、騒ぐに騒げないかえでは、その声を聞いてはっとした。
信長だ。
騒がないという事を身振り手振りで伝えると、信長はようやく手をはずした。
白い寝間を借りていたものだから、いくら布団に入っていたとはいえ、袂が気になってあわてて起き上がる。
フッと信長が笑う。
「お前もおなごなのだな」
「ど、どうしたんですかいきなりっっ!!」
動揺も動揺してかえでがきく。
一応相手は信長だ。
騒ぐなといわれた手前変態だの何だのわめけない。
「なんだ、妾に逢いに来たといったら」
ぼふっ。
枕を信長の顔面に打ち付ける。
しまった、と思ったもののもう遅い。
しかし信長のほうは愉しそうに笑いかえでに言う。
「怒るな、お前は」
だ、だだだだだ誰が信長様の妾よぉぉぉぉぉぉ……。
「まぁ落ち着け。まだお前を襲ったわけでもあるまい」
気持ち的には襲われたも同然だ。
何しろ夜中にいきなり部屋に入り込まれたのだ。
正直、かえでとしては出て行ってほしい。
「来い、お前に見せたいものがある」
「今から、ですか?」
「そうだ。すぐ来い」
「でも私、着替えないと――」
「来ないのか?」
信長の目が急に釣りあがる。
あわててかえでは布団からはいでた。