信長から了承を得たかえでは、早速城下の寺へ足を運んだ。
確かに何でもできるようになったわけだが、逆に何かやらなければならない。
折角の好意も台無しになってしまう。
梅の膨らんだつぼみを見て、かえでは春が近いことに気づいた。
そういえばこの季節、苑美はいつもマスクをしていた。
彼女は立派な花粉症だった。
梅のつぼみが膨らみ始めると、テレビのお天気キャスターよりも早く今年の花粉はどうだと予想を立て、見事に当ててきた。
どこぞの科学者よりもよっぽど信憑性の高い花粉情報を提供してくれる。
そのちゃん、今どうしてるんだろう。
そもそも私がいなくなって、みんなどうしているんだろう。
かえでは急に思い出した。
みんな……心配してるかもしれない。
「……梅が香に誘われて、天女が舞い降りましたか」
成政がいつの間にすぐそこに立っていた。
ひとつ梅の木の下、にこりと笑ってこちらを見ている。
しかしかえでの顔を見て、にわかに笑みを崩した。
「どうなさいました?」
目が熱い。
成政の表情が変わったのを見て、むらむらと込みあがる感情。
抑えきれず目からあふれ出す。
とどめようとしてもとどまらなくて。
思わずその場に崩れた。
「っっ?!」
「……」
成政がかえでを掬うようにささえる。
涙をぽろぽろと流すかえでに、少し動揺して尋ねる。
「どうなさいました?涙をお拭きなさい」
「わた……し……」
ふう、と成政が苦笑をもらす。
「天上より舞い降りし天女は、羽衣を失いもとの世界へ戻ることができず、天上を恋しがって泣いたという。……あなたも恋しいのですね」
「だってそのちゃんもお母さんもみんな……きっと心配してるから……」
そう言って泣き続けるかえでをそっと受け入れ、成政は静かに言った。
「落ち着きましょう、かえでさん。……一坊を借りてきますから、そこで少しお話でもしましょう」
「蘭……あの娘、どう思う?」
不意に信長が問う。
そばに静かに控えていた小姓は、また穏やかに口を開いた。
「ええ、大事な方だと思います」
「何ゆえに?」
「何故も何も……未来を知る人間であれば、といえば、上様は不服にございましょう?」
「……」
何度も聴いた言葉を口うるさく繰り返されることは、信長がもっとも嫌いだということ、蘭丸は承知していた。
だからこうしてもったいぶってみる。
すぐに話してしまえばそれで済んでしまう内容も、こうしてじっくりやり取りをすればこそ、相手の意もわかるというもの。
「気になるお方だと言ったらどうしますか?」
「……本当に女子に目覚めたか」
「ふふ、冗談。あいにくわたしはそんなに軽い心は持っておりません」
であるか、と信長。
そうしてしばらくして、また蘭丸に質問を投げかける。
「何か感じはせぬか?」
「何か、というと?」
うむ、と黙り込んで、信長は返事に困った。
蘭は面白いやつだ。
いつもわしを愉しませる。
だからこそこうして小姓として召抱えている。
それは変わりない。
蘭丸はいつものように接していてくれているだけなのだが。
蘭丸は洞察力もある。
そこをかって雑務などもやらせている。
だが彼はかえでのことに気づいていないのか。
信長の思考に気づいたのか、蘭丸は姿勢をただし、蘭丸をはったと見る。
「申し訳ございません。意に沿わなかったようで……」
「いや、そうではない」
まだ幼さの残るその顔に、明らかに疑問の表情が浮かぶ。
――かえでとやらは、なぜああも悲しそうな顔をする。
未来を知ってか?
あれはわしのいったい何を知っているのだ?
そんなにつらいものを、わしは背負っているというのか?
――信長の目の前にひょこっと蘭丸が顔を突き出す。
「上様、何をお悩みですか?」
心配そうに顔を近づける蘭丸。
続けざまにこういった。
「薬師を呼びましょうか」
「いや、蘭――」
そういって信長は蘭丸の顔をぐいと自分の肩へと押し付けた。
「しばらく黙っておれ」