「難しい顔をしておるが……何を考えていた?」

「え……」

「よい、何でもよいから話せ」

「……」

呼ばれてきたのに話せとはどういうことなんだろう。
信長の意図がわからないままかえでは黙っていた。
今のことを話して何になる?

「話せぬか?そのようなことを考えておったのか?」

「いいえ、そんなことでは……」

話せないことじゃない。
でも、話せることでもない。
信長が続ける。

「何、今日はお前が今どう考えているのか、聞くために呼んだのよ」

「私の考え、ですか?」

未来のことは話せない。
知っているなんてことも、もう言えないとわかった以上、何も言うことはない。
でも言わなかったら、私の価値はどうなってしまうのだろう。

「何でもよいというておる。下らぬことでもよいから申せ」

なんでも、いいの?
かえでは信長の言葉を胸中に繰り返す。
もうここにはいれないかもしれない。
だが、そのまま黙り続ける苦渋のほうがかえでにはきつかった。

「……私、何も知らないんです」

かえでは一語一語を押し出すように言った。
その一言が精一杯なのに、信長はなおも続けよといわんばかりに黙っている。

「今回の……成政さんの一件で私気づいたんです……私は未来を知ってるなんていえないって。
 私が知っていたのは、事件とか、戦争とか、そんなのばっかりで……
 私みんなを知ってるつもりだったけど、実はみんな初対面で、ぜんぜんみんなの事知らないって、気づいちゃって……だから……」

「ほう」

信長が不意に口を挟む。
単なる相槌なのに、それがずっしりとかえでの両肩に乗りかかってきた。
言ってはいけないことを言ってしまったような、空気の重さ。
それっきり口は開けない。
かえでは信長の真剣な、ただどこか気が抜けているようなその態度に、何もできなくなってしまった。

「なるほどの……確かにお前は知らぬ」

「……」

「ただ、今まではな」

信長の言葉に、かえではふと顔を上げた。
視線があう。
しまった。
だが信長はふっと笑うと続けていった。

「お前のこと、わしは信用しておらんかった。わしはお犬のような人を信じる人間ではないからな」

そういうと信長は足を崩した。

「未来から来たということは認めておったが、だからといってわしのことを知っておるとは思っておらん。
 知っているようなお前が、本当に信用ならんかった。信用がないから、探りを入れていた」

信用ならない。
ぐさりと刺さるその言葉。
かえでは泣きそうになるその涙腺を、必死にとどめた。

「お前が何もわかっておらぬと、そう気づかせるために夜の天主にも招いた。
 なるほど星のことはわしより知っていよう。だがこの時のことはどうだ。何も知らぬであろう」

「はい……」

「だがな、己を知ると、人は強くなるのよ」

そばに控えていた蘭丸に、ひけ、と手で合図を送る。
蘭丸は黙って外へ出て行った。
二人になってさらに重く感じた空気の中、信長は立ち上がりかえでのそばへと足を進めた。

「人の身は短い。何らかの価値を自分に見出したものは、それにばかり縛られて生きるしかないのう。
 もっと自由に生きればよいのよ。空舞う鷹のように自分をしばる価値がなければ、自由に生きることもできよう?」

かえでの顔をしゃがみこんで見つめる。
目が潤んでいるんじゃないかと必死になる。

「自由なことが強さよ。かえで、お前は未来を知らぬ。わしも、犬もみなそれに期待はしておらぬ。わしは、待っていた」

ああ、とかえでは思った。今日呼ばれたのはこのことだったんだ。
私に強くなれって言いたかったんだ。

そう、私は何も知らない。
でもそれでいいんだと思った瞬間、かえでの中で何か重い荷物がふっと降りた気がした。