「ちっ……まだまだ……」

うまいこと捕まえようと神経を集中させていた利家から、ついっと赤とんぼが消えていく。
素振りをやって一体どのくらいたっているだろう。
槍と刀を持ち替えながら、利家はずっと鍛錬、をやっていた。

「又左、もうそのくらいにしては――」

「いや、御屋形様に今一度……そのためにオレは――」

「気持ちはわかりますけどね、すぐに出仕が許されるわけないでしょう?」

成政がため息混じりに言う。
まともにその返答を食らった利家はぐっと言葉につまりほほを膨らました。

「じゃあどうしたら認めてもらえるんだよ……」

「それは、強さじゃないと思うんだけど、どうかしら?」

凛とした鈴の音のような声が割ってはいる。
振り返ると土手の上に、桃色の風呂敷を抱えて女が立っている。
にこりと微笑んだその顔があまりにも愛おしいといわんばかりに、成政が微笑み返す。

「小百合……今帰りかい?」

「ええ。今回の市はそう大きくなくて……油や荷物になるものはみんな下人が買ってくれたし、私が買うものはなかったわ」

「なぁ、それどういうことだよ」

利家が問う。
どうしても自分の力を認めてもらいたい。
その一心で、まるで答えを知っているような小百合に教えてもらいたかった。
しかし小百合は微笑むだけで、利家の望む答えはくれなかった。

「又左さん、私も役に立てるよう、強くなりたいわ。だからなぎなたを習ったりしているけど……
 でももし、強さだけを御屋形様が欲しているのなら、もうすでに又左さんの事、お認めになっているはずだもの」

「そうそう、だから又左、そろそろ帰りましょう。日も暮れてしまいますし」

三人が連れ立って土手の上を去る。

三人の館はそこから程近い、谷あいにある。
利家は信長の茶人を斬った。
それで勘当をうけ、今は出仕停止の身にある。
他の武将に仕えるなどという気が毛頭ない利家は、身を寄せる場所がないため、今は成政の館に居候している。
いくら成政がいい友だとしても、いつまでも居候しているわけにもいかない。
だから利家は躍起になっていた。
早く出仕を許され、前田の家をささえたい。
槍の又左といわれた前田利家が、のうのうと他人の家で暮らすわけにも行かないのだ。

だがあれから一年たとうというのに、信長の勘当は消えない。
正直ここまで来ると苛立ちすら覚えるようになる。
なんだっていい、手柄を立てて今一度認められるなら、どんなことでもいい。
そんなうやむやした日々が続いた。

そんな、ある日だった。
夜、成政の部下が駆け込んできた。

「ご注進!領境で賊が荒らしまわり、村に被害が出ています!」

「ふぅ……今川が動いているという事なのでしょうか……」

「ばかな!ここ比良は清洲のほとんどお膝元だろう?」

そうはいったものの、だからありえないというわけではない。
今川は織田の何倍と兵力を持っている。
国を維持する大名の一番の基盤は民たちからの信頼だ。
領境の村を荒らされたからといって、放っておくわけにも行かない。
いざというとき、そのためにも織田は今まったく気が引けない状況にあった。

「又左、あなたはどう見ますか?」

「今川の陽動があっての賊だろうな。放っておくと危ない」

「そうでしょうね。しかし兵を今、両境のほうへさくわけにも行かない」

他を手薄にしては、と成政。
それを見て利家はすっくと立ち上がり、自分の胸をばんと打った。

「成政、オレに行かせろ!どーせヒマしてるんだ。石つぶしになるよりゃ、仕事したほうがいい!」

「又左、相手は」

「今川だ。腕がなる!」

そういって出て行こうとする利家を、成政は引き止める。

「又左!わかっているのですか?相手は一人ではないのですよ」

「じゃあ、お前も来るか?」

にっと笑って見せると、成政は苦笑を浮かべ、利家に返事を返した。

「ええ、私も黙ってはおれませんから」



「……今思えば、オレがあんなこと言わなきゃ成政を危険にさらす事も、小百合を死なすことにもならなかったのに……」

「え……小百合さん、亡くなってるの?」

利家がうつむいたまま言葉を区切ったのを不意に思ってかえでが聞く。
しかしすぐにしまったと思った。
聞いてはいけないこと、不謹慎なことを聞いてしまったと気づいたのだ。
しかし利家はそれをとがめるでもなく、小さな声でポツリと言った。

「ああ。死んだよ。あれは罠だったんだ。今川の、織田の勢力をそごうとするな。
 その窮地からオレたちを助け出そうとして小百合は鉄砲にあたった。成政の、目の前でな」

依然苦しそうに呼吸をしている成政へと目を落とす。
そんなかえでの肩を急につかみ、利家はかえでに大声を上げた。

「お前わかるか??こいつと小百合は、将来をも誓った仲だったんだ。
 そういう相手を目の前で失う恐ろしさがわかるか??お前は……」

「又左……いけない人ですね……あなたという人は……」

「な…」

苦い吐息の中でもがくような声がした。

「成政……」

「そんなに声を荒げては……かえでさんが、怖がってしまう……」

「お前……気づいた……」

「誰でもあんな大声で騒がれては……」

そういう成政の声は依然苦しそうで、全然治ってはいないことが手にとってわかる。
しかし成政はかえでに向いて微笑むとこう言葉を続けた。

「又左は騒ぎすぎなのです……かえでさん、気にしなくていいですからね……」

「でも……」

かえでが言葉に詰まっていると、成政はまた弱弱しく笑う。
そして、今度は何を言うまでもなくまた瞳を閉じてしまった。