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だいぶ安土の地の利もわかってきた。
町を出歩いてもどこに何がある、とかここの甘味がおいしいとか、ちょっとしたことでもわかるようになってきた。
町の人の中にも何人か顔見知りができてきて、歩くと声をかけられる。
大きな家族のような町の雰囲気が、かえでを暖かく包んでくれる。

もう、近頃は自分が途方もないことになっている、というのは意識しないようにしていた。
成政との会話で自分が気づいた、言ってはならないこと。
言ってはならないことを考えることほどつらいものもないので、自然と考えなくなっていたのだ。
考えないほうが楽。
最初はそう思うこと自体がつらかったが、今は自然とそうなっていた。

そんなこんなで、最近は一人で出かけることが多い。
もちろん、誰かを誘うこともあるが、基本的にみんな仕事もちなので、あまり呼び出すと悪いんじゃないか、とか思ってしまう。
ただでさえ利家には槍稽古をつけてもらっているし、成政には書を習っている。
信長と外を歩くなんて言語道断だし、蘭丸や秀吉はほぼ毎日仕事に追われている。

今日も一人で館を後にした。
一人でぶらつくのはいささかつまらないが、しかたないかな、とも思う。
今日は天主の裏、搦手口のほうへ行ってみることにした。

こちらは琵琶湖とつながっている。
そこまでは基本的に山道のようになっている。
一応整備がされて物資の調達などができるようになっていて、人の行き交いもあるのだが、思ったより木が多い。
整備の仕方が甘いわけではない。
石垣はきっちり積みあがってるし、その上には白塗りの壁もある。
足元もふかふかした腐葉土ではなく、きっちり踏み固められた固い土だ。
道の両脇はちゃんと堀が作られている。
ところがその向こう、となるとまるで雑木林だった。
緑が多く残されている。
この辺、かえではいつも感心する。
自分たちが必要なだけ使い、後はちゃんと残しておく。
これって大事なんじゃないかな、と感じていた。

八角平へ出た。ここも広々としていて、遠く琵琶湖が見える。
ほんとに日本一の湖なんだと実感できるここが、かえでは大好きだった。

ただ、今日はこげたにおいがする。
硝煙のにおい。
いく道々に汗をかいた男たちとすれ違ったが、何かの訓練でもしていたのだろうか。
かえではそんなことを考えながら、その隅に立てられた粗末な小屋へ歩いていった。

運動場のような場所だから、こういった休憩所のようなところはそんなにない。
一番琵琶湖に面した場所に作ったこの小屋は、まさしく休憩所っぽいもので、絶対に後世には遺構として残らないだろうなと思う。
そのくらい簡略なものだった。

「にゃ〜ん」

猫がいる。
縁側に腰掛けようとしたかえでに体を摺り寄せてきた。

「わぁ、人懐っこい!」

かえでが手を伸ばすとごろごろとのどを鳴らして満足そうに目を細める。
そっと抱きかかえると着物の上からぬくもりが伝わる。

「みゃあ」

「あ……」

ほんの少しだった。
ほんの少し抱っこさせてくれただけで、猫はかえでから飛び降りた。
居心地が悪かったのか、縁側を裏の琵琶湖の見えるほうへと歩いていく。
かえではもう一度抱きかかえたくて、後を追った。

思わず、足が止まる。
誰かいる。
はだしで横になっている。
見えたのは袴の裾とそこから出ている足だけで、誰なのかわからない。
耳を澄ませば、気持ちよさそうな寝息が聞こえる。

眠っている……かえでは気になってさらに足を進めてみた。

光秀だった。
あまりにも無防備な、そんな表情をしている。
琵琶湖を望むまま横になったようで、右腕を枕にしてすぅすぅと眠っている。
腹の辺りに、さっきの猫がいた。

その顔があまりにもきれいなのと、無防備なのとでさらに近寄ってみる。
すると猫がフーッと威嚇し始めた。

「おやめなさい」

いきなり声がしたので驚いた。
左手でその猫の背中をなでて、光秀が気を静めようとしている。
さっきまであんなに気持ちよさそうに眠っていたのに、今はしっかりと切れ長の瞳を開けて猫をなだめていた。

「貴女も貴女だ……黙って近づくとは、行儀が悪い……」

「ご、ごめんなさい!」

「わかればよいのです」

そういってむくりと起き上がる。
緩んだ袂から、光秀の胸元がのぞく。
思ったより引き締まった体に、かえでは少しだけ、びくりと体を振るわせた。
なんとなく、イメージでだが、どちらかといったらひょろひょろしたイメージでいたのだ。

「……なにか?」

「い、いえ!!」

そうこうしているうちに光秀は身なりを整え終えた。
かえでは何をしていたのか、尋ねてみる。

「昼寝をしておりました」

あ、そっか。
何を聞くまでもないか……少し後悔。

「……申し訳ございません。気分を害してしまったようですね」

「いえ、こちらこそ――」

「朝にここで鉄砲の訓練をしておりました。昼になって皆を帰し、私はここに残っていた、というわけです」

「実際に撃つんですか?」

「本日は特別……普段はやりません。……興味がおありのようですね」

「はい。触ってみたいなぁって」

「そのような生半可なお気持ちなれば、そういうわけには参りません」

いきなりぴしゃりという光秀に、二の句がつげない。
もとより口下手なほうの光秀と、会話しようと思うほうが無理なのかもしれない。

「……すみません。鉄砲を持つということは、敵を持つということ。貴女には似合いませぬ」

光秀は口数が少ないだけだ、というのはかえでは以前話して感じていたが、光秀自身もうまく話せずもどかしく感じているようだ。

「あの、ここ好きなんですか」

「さて……どうでしょう」

また会話に詰まる。
そう思ったが、光秀は黙るようなことはしなかった。

「好き、というのかよくわかりませぬ。ここにはよく来ますが、これを好きかといえば……」

「じゃあ、どの変が気に入らないんですか?」

「気に入らぬというわけでは……」

しばらく悩んだすえ、光秀はいきなり、かえでの腕を無言でつかみ、ぐいと引き寄せた。

「!」

そんな声を出したかえでを気にも留めず、琵琶湖を指差す。

「あの方角に……坂本がございます」

「サカモト?」

「はい。私の所領です。元は本願寺門前町として栄え、この琵琶湖の流通の要、そして京の都への入り口……信長様はそこを私に託された……」

うーん、と目を凝らす。
しかしただ青い琵琶湖が広がるばかりで、対岸は見えない。

「……わかりません」

「別にかまいません。この安土から、坂本を隔てるはこの近州の海しかございません」

「……」

光秀はどんな気持ちでこの言葉を発しているんだろう。
この人は謀反を起こす人。
でも、かえではそうは思えなかった。
まだつかまれている腕は、自由を許さぬという束縛の念ではなく、ただ琵琶湖を望むのにここからがよく見えるのだと、教えてくれているような暖かさがあった。
何でこんな人が、という気持ち。
それがかえでをしめていく。

不意に猫が腰を上げ、茂みへと飛び込んだ。
光秀の手が、かえでの腕から離れる。

「すみませんが、お付き合い願えますか?」