「かえで、とやら」

信長の目がかえでに向く。
思わずつばを飲み込んだ。
何が聞かれるのだろう。

「武術は身に付けておるか」

「いいえ」

「では手放したところで、たかが女一人の意見を聞くものもおるまい。戦の勝敗もかわらんだろう。しかしな――」

すっと信長の手がのび、かえでの顎を捉えた。
くいっともちあげられてかえでの目の前に信長が見えた。
思ったより近い。

ふと、信長が笑う。

今までの挑発的な笑いとは違う。
澄んだ瞳でかえでを見ている。
強くまっすぐな瞳だ。
まっすぐで、それだからこそこの城の主にふさわしい瞳。
だが、どこか寂しそうな、孤独な光をたたえている。

信長は、これから先の出来事を――本能寺をこの目で見るのだろうか。
この目で自分に向けられた謀反を、退けることのできない謀反を見るのだろうか。
自分を取り囲む炎海を見るのだろうか。
自分の滅びゆく身体を見るのだろうか。
自分の血肉が焼けていくのを……

「はなしたくないものよ。理由はわからぬが」

手が、かえでから離れる。
思わずその手を目で追う。
信長が気づき、かえでに不思議そうに問う。

「どうした。何か悲しい事でもあったのか」

悲しいこと……ありすぎてわからない。
自分が悲しいんじゃない。
普通なら男の人に顔を近づけられどきどきするものだろう。
信長はかなり綺麗な整った顔をしている。
光秀ほどでないにしろ正直言ってかっこいいし、綺麗な人だ。
口元に生えた髭も美しく見えてしまう。

それなのに……それはかえでが先を知っているから。
信長の未来も、蘭丸の未来も、光秀も、成政も、利家も秀吉も……皆のなれの果てを知っているから。
今こうして栄華を誇っている織田が、この安土がどうなるか知っているから。

「話せぬことか?無理にとは言わん。蘭、はずせ」

「はい」

蘭丸が席をはずす。
信長は気を使ってくれている。
でもそれはどう話しても、信長には通じそうもない。
大体かえでの存在自体、時を越えて来たなんて信じられることではない。

「わしはお前をそばに置くと決めた。小姓にしてもいいがお前には勤まらんだろう。
 お前の態度を見れば、おそらく未来からきたというのもわかる。どのくらい先からきたのだ」

「多分……500年くらい先だと……」

「はきと答えよ」

「はいっ!500年くらい先です」

ふっと笑ってよい、と信長が言う。

「500年も過去にさかのぼった気分はどうじゃと聞きたいが……なぜお前は悲しい。
 お前にとっては単なる過去を見ているだけだろう」

「単なる過去じゃないです!私……ここがなんだかさっぱりわからなかったんです。
 でも信長様たちは私をここにいることを許してくれた。だから私にとって過去じゃない……今なんです」

「ではなぜ悲しい」

「それは……」

信長なら信じてくれるかもしれない。
未来からきたという話をとりあえずは信じてくれている。
ならばかえでがいう話も理解してくれるだろうか。

でも、きっと信長は自分の未来をいえというだろう。
そうなったときかえではいえるのか、自信がなかった。
大体言ってはいけない気がした。
その一言が、歴史を変えてしまうかもしれない。

「話せぬか」

話したら楽になる?かえでは口にしようと息を吸った。
とたんぞわりとかえでの身体に何かが走る。

「!!」

「どうした?!」

わからない。
冷たい何かが体中を駆け巡る。
熱くて冷たいそれが、かえでの身体にのしかかる。
重い。

「蘭、蘭!薬師をよべ!蘭!」

「いかがなさいましたか?」

息が苦しい。
どうやら信長が呼んだ蘭丸がこの部屋にきたらしい。
そして出て行ったらしい。
わからない。
息苦しくて、寒くて、熱くて

――記憶が、途切れる――