ようやく頭に光が入ったように、かえでははっきりしていくのを感じた。
気がつけばそこは畳の部屋で、なにやら布団の上に寝かされているようだ。
暗くて何がなんだかよくわからないが、一ヶ所だけ、襖が閉じきっていないのか一筋の光が差し込んできている。
時はもう夜に及んでいるらしく、障子からは灰暗い青白い月明かりがさすばかりだ。

月明かりが明るいなんてかえでにははじめて感じたことで、ほんの少し興味をそそられた。
しかしすぐに隣の部屋が気になりその一筋の光へ目線を向けた。

覗いてみるとそこには先ほどの男たちが集まっていた。

「で?どうすんだよあいつ」

利家が問う。
その先にはむんという顔をした秀吉がいた。

「どうって……」

「大体なお前、あんな正体のわからねぇやつを館におく神経がわからねぇよ」

「まぁ又左、そうかりかりしなくてもいいのではないですか?」

成政が言う。
苦笑をもらしつつ利家を抑えるが結局のところ彼を完璧には抑え切れていない。

「つまり、前田殿はかえでさんの正体がわかればいいんでしょう?
 だったら上様も知りたがってましたから一石二鳥じゃないですか♪」

うきうきとした様子で蘭が言う。

そうだ……私は実際のところ一体何者なのか、この人たちにはわかられてないんだ。
そうかえではすぐに察した。
帰るにも何をするにも、彼らにそれだけは伝えておかないと何か面倒が起こりそうで、かえでは途方にくれた。
たとえば伝えたことで信じてくれるだろうか。
自分が未来から来たなんて信じてもらえるだろうか。
そして自由にさせてくれるだろうか。
今の様子からして、自由にしてもらえそうにはない。
きっと監視されている。まずは、どう自分のことを言えばいいのだろう。

「私なら信じますけどね」

ふと暗闇から声がした。月明かりで影が見える。
大きな布を体全体にまとい、まるで男か女か、見当がつかない。
声からしてやっと、男ではないかと思うくらいだ。
かえでの頭の中にふと浮かんだのは、よくタロットカードとかに描かれている死神の姿。
まさか、死神なんているわけがない。
でも自分が時を越えてしまった以上、そのまさかもありそうで怖い。

「誰?」

「名乗ることもないでしょう。あなたが私についてきてくれるなら、我が里にてその正体を明かします」

「あなたの里……?」

一瞬冗談じゃない、とかえでは口からでかかった。
何がなんだかよくわからない状況だ。
できればそんなに動きたくない。

そう思った時だ。さっと襖が開いた。

「かえでさん、どなたとお話なさってるのですか?」

蘭がにこりと笑ってそこにいる。
しかしその横からはすでに抜刀した利家が部屋に立ち入って例の影ににらみをきかせている。

「……伊賀者か」

秀吉の昼間とは違うトーンの声に、かえではちょっと驚いた。
あんなに軽そうな人間だった彼が、今はものすごいびりびりとした眼光を突きつけている。

「さすがは羽柴殿」

クククと影が笑う。
よかった。死神ではない。
いや、当たり前だってば。

「かえでさんをどうする気だ?」

「きゃっ」

成政がかえでの腕を引っ張る。
成政はそのままかえでを抱え込む。
そ、そんな、まだあって何時間?
それなのに、私……っっ!!

「おや佐々殿、その娘ごを私にお返し願えませぬか?」

「返す?」

手足を縮めてかえでは震えていた。
はっきり言って両方ともどちらがいいのかわからないが、あの影は不気味すぎる。

「ってことは、かえでさんはあなたたちの仲間なのですか?」

「いいえ、初めてお会いしたのですよ」

「それっておかしくないですか?そういうときは頂戴っていうべきでしょ?」

どこまで本気なのか、蘭はニコニコ笑いながら相手を挑発するようなことばかり言っている。

「何でこんなやつがほしいんだよ」

利家が問う。言葉の端々にとげがあるが今のかえではそれどころじゃない。

「ふふ、いいでしょう……その娘は時を越えし者。ですから欲しいのですよ」

「なんかわけわかんねぇよ」

「いいですよ前田殿、わたし理解できましたから」

「おいらも」

無意識だろうが利家にダブルでぐさりと言葉のとげが刺さる。
蘭と秀吉が、影から目も話さずに言い放っている。

「……っってめぇふざけんな!!」

利家が刀を影に向ける。ひょんと軽い音がして白刃が宙を舞う。

「おやおや、八つ当たり、ですね」

クス、と影が笑う。

「いいでしょう。別によいのです。今でなくても……あなたたちからその娘を奪うときは、いくらでもありますから」

影は軽く畳を蹴ると、障子を押し倒して夜の闇へと消えていった。

「……だいじょうぶですか?」

成政がようやくその腕を解く。
かえでは顔がやかんのように熱くなるのを感じた。
こんな目の前に男の人を見たのがはじめてだったのだ。

「おい、佐々……そのクセどうにかしたほうがいいぞ」

「クセ、ですか?」

きょとんとして成政は利家の顔を覗く。
答えに詰まる利家の代わりに秀吉がため息交じりで答える。

「そのさ、女性にこう……近すぎるって言うか……」

「ああ佐々殿、きっと羽柴殿と前田殿はうらやましいんですよ♪」

「そうなんですか」

「んなわけあるか!」

異口同音に蘭に突っ込みが入る。
ついでに成政にも「信じるなよ」とツッコミがはいる。



ひとしきり騒いだ後、蘭がにこりとかえでに微笑んだ。

「そういえば自己紹介してませんでしたね、かえでさん。わたしは森蘭丸長定と申します。好きなようにお呼びください」

「うん、よろしく……」

蘭丸、といえば信長の小姓として有名な武将だ。
確か本能寺の変で一緒に死んでしまったはず、とかえでは思い出した。

この穏やかな顔をした彼が、おそらくあと数年で炎の中死んでしまう。
考えてみればかえではここにいる皆のすべてを知っていた。
皆の最期を、本で読んで知っていた。
彼らが如何にして死んでいくのか。
急に「歴史」として知っていたことが現実味を帯びてきてかえでは身が震える思いがした。

「ところでかえでさん、ちょっと聴きたいことがあるんですが、よろしいですか?」

蘭丸の声にはっとする。気づけば皆こっちを向いていた。

「先の伊賀者の話、本当ですか?」

「あ、そうそう、オレそこよくわかんねぇんだけど」

利家がかえでが口を開く前に尋ねる。秀吉が痛く真面目な顔で応えた。

「よーするに、かえでは時間を越えてきた――未来の人間だってことだ」

で、どうなの?と秀吉。
正直、かえで自身確証があるわけではない。
しかし黙っていても始まらないとおもい、答えることにした。

「多分……私もよくわからないけど、そうだと思う」

「わからない、というと?」

成政が問う。そういわれても、当の本人が混乱しているのにわかるわけがない。

「来たいとおもってきたわけじゃないんです。そりゃぁ、憧れみたいのはあったけど」

「こんな乱世にあこがれ、ね……」

めでたい頭だ、と利家。

「じゃぁ、明日上様に取り計らってもう一度かえでさんと上様を引き合わせましょう。詳しい話はそれからで……」

「そうだな。蘭丸、頼むよ」

秀吉が受け応えると蘭丸はうなづき、席を立った。

「じゃあ、上様に伝えておきますね」

それだけ言って蘭丸は姿を消した。

「ねぇ、その、御屋形様って人に私どうしても会わなきゃだめなの?」

かえでは聞いた。やはり自由にはさせてもらえそうに無い。

「おう。オレたちが話しただけじゃな。御屋形様は実際に見て聞いてをするお方だから、そのほうが手っ取り早いんだ」

「そう硬くならずとも、きっと大丈夫ですよ。ありのままでいること。それが一番御屋方様には好印象に映るでしょうから」

「うん……わかった」

かえでがうなづくと成政はそれでいいのです、というかのようにうなづいた。
そんな成政を見て、正直かえではようやくほっとしたような気分になった。
彼のこまやかな気遣いがわかる。
でもそれは決して恩着せがましくなく、むしろ心地よく感じられる。
初めての場所、初めての人、初めての時代。
かえでがよりどころにできそうなところはまるでない。

「では又左、あとは羽柴殿にお任せしてわたしたちはお暇しましょう」

「そうだな。……おいサル、本当に頼むぞ」

「はいよ」

成政と利家が部屋を出て行く。
最後の利家の言葉にむっとしていると、それが表情に出ていたのか、秀吉が苦笑を漏らしながらぽんっと肩をたたいた。

「そう気にすんな?」

「えっ?」

「顔に書いてあるよ?"利家くんったら、そんな風に言わなくても"って」

「……」

図星で何もいえない。
言葉に詰まったかえでを笑って秀吉が言う。

「あのな、俺たちは今正直孤立無援状態なんだ。かえで、あんたがもし本当に未来から来たならわかると思うけど……徳川家康ってしってるか?」

「え?そりゃ……うん」

江戸幕府を開いた人でしょ?とはいえない。
まだ幕府が開かれる前だ。何も言うことができない。
かえでは慌てて口をつぐんだ。それがわかったのか、秀吉は意外そうな顔でかえでを覗く。

「なんだ、何か知ってるのか?」

「う、うん……タヌキオヤジとか言われて……」

「なんか未来ってすごいんだな。あのお方がタヌキか……」

そういうあんたはサルってあだ名、ずーっと後世まで残ってるよとはさすがにいえない。

「んまぁ、あってるかもな。あのお方以外は敵ばかり。北陸の上杉と武田、中国地方の毛利、四国の長曽我部
 ……その向こうの北条、伊達、大友、島津……あげればきりがない。だから又左みたいに接するのが普通さ。
 おいらがあんたに近づいた。だから蘭丸も成政もああやってきてる。それだけのことだ」

「やっぱり……わたしはよそ者だもんね」

「ああ、別にそういう意味じゃなくて……」

秀吉が気まずそうにかえでを止める。
かえでは笑って秀吉を抑えた。

「ううん、いいの。実はね、どうやったら戻れるかとか、そんなことばかり考えてた。
 でもそういうわけには行かないみたいだし……だったら今の状況ちゃんと理解して、明日もちゃんと織田信長に会って――」

がたんと大きな音を立てて秀吉がのけぞった。かえでは慌てて秀吉に目を向ける。

「お前、今御屋方様を呼び捨てに……!!」

「ああ、ごめん……御屋方様、か」

まだ腰の抜けたような顔の秀吉を慌てて落ち着かせようと思ったが、その表情に笑いがこみ上げてきて仕方ない。
どう見てもサルにしか見えない。

「ごめんってば。私まだ実感なくて。私ね、歴史の勉強で織田信長……様のこと知ったから、どうしても……」

「へ、へぇ……御屋方様は名前残るのか。すごいな」

まだどきどきしているのか、秀吉がちょっと震えながら答える。
しかし信長のことを心底尊敬しているみたいだ。畏怖、にちかいのかもしれない。

「だから、ね??私も気をつけるから」

「いや別にいいんだけどな……」

そういいながらもまったく腰の抜けた状態の秀吉に、かえでは少し苦笑を漏らした。